文中に、詔書や内閣告諭の内容を正確に記述しているが、これはラジオからの聞き取りではなく、新聞から採録したものである。 9日に宮中において開かれたでは、を始め、とがの地位保証()を条件として、とはさらに幾つかの条件を付けた上での降伏を主張した。 大臣副署は当時の内閣総理大臣・鈴木貫太郎以下16名。
17そもそも日本臣民が平穏に暮らし、世界が栄え、その喜びを共有することは、歴代天皇の遺した教えで、私も常にその考えを持ち続けてきた。
5大将(司令官)- 叛乱鎮圧指揮• 実際には内閣総辞職を決定する閣議が行われたため、19時のニュースに続いて放送された) 15日の放送 [ ] 1945年(昭和20年)8月15日のラジオ放送は下記の6回であった。 夏休み中なので生徒はごく少数が登校していただけだった。
3運搬に際しても副盤をいかにも正式ならしい偽物を仕立てつつ、正盤は粗末な袋に入れてで運搬するという念の入れようであった。 そのようなことになれば、私はどうして億兆の国民と子孫を守ればよいか、歴代天皇の霊に謝罪できようか。
7録音の用意は16時には完了し、18時から録音の予定であった。 且戦傷を負い、災禍を蒙(こうむ)り、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)する所なり。 しかし、放送が始まり、声が聞こえると「ばねのように立ち上がり直立不動の姿勢をとった」学生たちは「ソノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」の部分が聞こえた段階ですべてを理解した。
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