そして阿国と山三郎は結ばれる。 当時はさまざまな土地の城下町に遊里がつくられていたため、この遊女歌舞伎はわずか10年ほどで全国に広まったといわれています。 なお、旧暦4月15日 (現在では新暦4月15日とも)が 「阿国忌」といわれています。
9上記により、「クニ」と名乗っていた評判の踊り子がおり、かつ、近衛という代表的貴族からも破格の好待遇を受けていた一座がいたことがわかる。 ヤヤコ跳からかぶき踊りに変化 宮中での様子が描かれた『時慶卿記(ときよしきょうき)』では、慶長5年(1600)「クニ」という人物が「ヤヤコ跳」を踊ったという記録が残されており、この人物が慶長8年(1603)に「かぶき踊り」を始めたと考えられています。
11出雲大社【いづもたいしゃ】に仕える巫女【みこ】と称【しょう】していましたが、くわしいことは分かっていません。 槍の名人でも有名な名古屋山三郎が演出を手掛けたとも言われている。 5年()に「クニ」なる人物が「ヤヤコ跳」を踊ったという記録(時慶卿記)があり、この「クニ」が3年後の慶長8年()に「かぶき踊」を始めたと考えられている。
20【名称の表記】 なお、現在では「出雲の阿国」「出雲のお国」と 表記されることが一般的ですが、 彼女の生存時の歴史資料には このような表記は発見されてはいないとのことです。
2