6 中田喜直作曲)も収録されています。 昭和37年3月は「おはなが わらった」 保富康午作詞、湯山昭作曲 で、 4月は「めっめっめっ」 宮沢章二作詞、萩原英彦作曲 です。 【作曲について】 NHKラジオのリズム遊び番組「あそびましょう」のために、昭和三十七年 1962年 二月に作曲、湯山昭二十九歳の作品 CD湯山昭・子どもの歌全集2『おはなしゆびさん 山のワルツ』解説による。
9ボツになった詩を世間に公表したい詩人はいないでしょう。 それで電話口で詩を読むから、書き取ってくれと言って、岡さんがゆっくり読んでくださり、私がこちらで書き取ったのです。 覚えやすく歌いやすい。
14と、どうでしょう、二番・三番と電話機のそばで詩を書き取っている私に『あめふり くまのこ』の詩の世界が、鮮やかなカラースライドを見るように見えてきて、その中の熊の子が、メロディーを付けて歌い始める、そんな光景が私の胸の中に浮んだのです。 湯山昭とのコンビでは、童謡「おはなが わらった」、歌曲「風の中の風の歌」「愛の主題による三章」、混声合唱とピアノのためのカンタータ「人間の女の歌」などがある。
11詩から生まれたメロディーですけれど、 言葉をとり去った裸のメロディーが、聴く人々を納得させるだけの個性があるかどうか 、そういったことを私はいつも歌づくりの時に考えています。
13この「ちっぷ ちゃっぷ あめ」が、<頭をひねって作った新作>だったのでしょうか。 ・昭和三十八年(1963年)から十一年間阪田寛夫らと「6の会」を結成。 赤ちゃんは「ヒヒヒヒ」ではありません。
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