「対中国戦争に対しては、漠然たるうしろめたさを感じていた大衆、侵略戦争とはっきり批判的だった知識人も、米英に対しての戦争となるとその態度を急変した。 我輩を以て此二國を視れば今の文明東漸の風潮に際し、迚も其獨立を維持するの道ある可らず。 この時代、中国や朝鮮から政治家や思想家が日本を訪れ、それぞれお互いの国がどのような方向に進んだらよいかなど話し合ったりしました。
14支那では人間は所有物であり、負けた勢力は慰み者であり最終的には食糧でしたので、捕虜になってしまうと戦死するより苦しい目に遭わされるのが常であり、故に捕虜になるよりは楽に死ねる戦死を選ぼうってのが、日本軍の経験則による方針に結びつきました。 韓桂玉 1996 『「征韓論」の系譜ー日本と朝鮮半島の 100 年』(三一書房・ 1996 年 10 月)。
「 我れは心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり」とは「心(感情)」という個人的な感情を表した表現であって、「国家関係として日本と朝鮮とは縁を切って国交断絶すべき」というような主張ではない。 教育については儒教主義を堅持して虚飾のみを重要視する。 かなり簡略化され、韓国や中国に言及した部分のみをトリミングした文章が飛び交っているのが現状だ。
19暴徒は閔氏政権を支援していた日本公館を焼き討ちしたうえ、王宮に乱入して閔氏の高級官僚を殺害したのち大院君を迎えて新政権の樹立を宣言したのであった。 最後に、「脱亜論」の文中には「 唯 ( ただ ) 脱亜の二字在るのみ」とあって「脱亜入欧」の四字は使われていないことに注意すべきである。
19かつての軍国主義日本の「大東亜共栄圏」は、大東亜が連盟して世界最終戦で西欧を破り、世界に覇を唱えるという覇権主義実現のための「共栄圏」であった。
背景を書くと長くなるため、今日はここまで。 米国の「民主主義帝国」、軍事の「スーパーパワー」の大見せ場となるはずだったイラク戦争もベトナム化、泥沼化し、米国の主導する最近の国際会議はいずれも何も決議できないのが常態化している。