しかも 最終章に至るまで、総理と鬼太郎や友好的・穏健派の妖怪との接点はほぼ皆無であり、そのため鬼太郎がどれほど誠実で、無抵抗な態度を示そうとも、 総理にとっては妖怪は信用のならない、国を害する存在でしかなかったのである。 「破滅してでも栄光を手にしたい」という人間の業が描かれたラストに、多くの視聴者が強い印象を受けました。
12まあねずみ男に勝っても自慢にならないが。 水木しげる先生のスピリッツを大切にしつつも、今日的事象を果敢に取り込んだ攻めの6期鬼太郎の締めくくりに相応しい最終回、妖怪と人間の切ない距離感から悪役の滅びの美学まで、心をゆさぶられることでしょう。
5気づいたユメコは、最初、一切は夢だったのかと思いますが、左膝の傷を見て現実のことだったと知ります。
- - - - まあそれじゃバッドエンドになってしまうので、ねこ娘や真名の活躍で鬼太郎が復活。 先行場面カットに鬼太郎の姿は確認できないが、最後はどのような結末を迎えるのだろうか。 - - - - ぬらりひょんは全然妖怪らしい力を使わない。
8ありがとうございました。 その結果、首都はぬらりひょん率いる妖怪軍団と、機動部隊による悪夢の様な戦場と化す。
16戦争を止めるねずみ男 ねずみ男は一人必死に妖怪と人間の戦争を止め様とする。 それだけでなく、『一反木綿の体をゴム代わりにパチンコ攻撃』、『砂かけ婆の砂塵扇』といった新技もある。
10前々回の記事でこの戦いにおける厄介なものの一つに 「既成事実と生理的嫌悪」があることは述べたけど、 尊厳(平たく言えば プライド)もこれまた戦争とかで持ち出されてくる厄介なテーマであり、水木先生自身も戦争体験において 「玉砕」というものを知ったのだから、 戦争においては生よりも名誉ある死が尊重されるという異常な状況が生まれることは決してではない。 しかし5期とは異なり特番の挿入など番組編成上の都合から、2期以来となる全100話に到達しなかった鬼太郎となった。
まなはユメコ同様にオリジナルキャラだが、調布市に住んでいて父親の実家が境港市であるなど、原作者の水木しげるに関連した設定が付加されている。
身近にいる妖怪たちを紹介する歌詞になっている。 当初は単純に「見えてる世界=人間界」で「見えない世界=妖怪の世界」という構図から始まったに過ぎないが、この2年で見えてる世界・見えない世界というのは何もそれだけではないことを視聴者に訴えかけてきた。 作品は好評を受けて早々に2年目の放映が決定したため、放送期間は5期と変わらない。