滋賀県のくすりの歴史も古く、史実によりと、天智天皇が薬猟をされたという記録が残っています。 これは、すべてのくすりに定価を付記し、その1割の額面 の収入印紙を貼らせることにしたもので売薬税とあわせ、業者には致命的な打撃となりました。
14また、開発された有効なくすりは7年間の専売を認めるという項目を設け、商品の改善を迫ってきました。 明治10年(1877年)には、「売薬規則」によって売薬営業税や鑑札料などの税を定めて、売薬業界への圧力を強めました。
11孫の代まで続けるという心がけで、真心をこめて対応し、誠を尽くそう」 くすり売りの間で、親から子へ、子から孫へ、代々語り継がれてきた言葉ですが、これを実践するために打ち出されたのが「信用三本柱」です。 一般薬と一口でいっても、遠く明治以前からある伝承薬、家伝薬、配置薬、薬局で扱われる一般薬、最近の医療薬から転用された新一般医薬品まで、多種多様にわたります。
10こうした状況の中、軽い病気は自分で治すというセルフメディケーション(自己治療)の考えが徐々に浸透。
奈良朝に入り、天平勝宝5年(753年)、唐の名僧・鑑真が遣唐使とともに来朝し、唐招提寺を開きましたが、その際、「奇効丸」というくすりを伝え、光明皇后の病気を治したという記録が残っています。
「委任を受けた」と言われても、書面の通知がなければ効力は生じません。
なかでも、江戸時代から続くセルフメディケーション(自己治療)の必需品「おきぐすり」はもっともポピュラーな存在です。 代金を頂くのは、あくまで減った医薬品の分だけ、そういう意味ではこの配置販売業は訪問販売とは全く違うものと言えるでしょう。 こうした数々の薬の多くは、利用者のニーズを正確に察知し、いち早く対応することができる「おきぐすり」のシステムの中から生まれています。
19