それだけではありません。 津田梅子は1900年に日本で最初の女性のための高等教育機関の一つである女子英学塾(津田塾大学の前身)を創設しましたが、それ以前から女性リーダーの育成に力を尽くし、女性の社会参画の機会を拡大したパイオニアです。
2彼女はイギリスで当時80歳の ナイチンゲールとも面会しています。 女性だというだけで賃金差別が21世紀の今なお公然と存在する現在の日本では、すがすがしい精神的に自立した女性の生き方を描いたドラマは多くの人に勇気をもたらすことでしょう。
(略)わたしはキャンベル氏の言ったとおりだ、女ひとりで日本を旅行などすべきではないと思いはじめました。 学問は「環境よりも意欲」 少人数教育を提案 1900年(明治33)、津田塾大学の前身「女子英学塾」を創設。 「真の教育には物質上の設備以上に、もっと大切なことがあると思います。
1真の教育には、教師の熱心、学生の研究心が大切であること、また、学生の個性に応じた指導のためには少人数教育が望ましいこと、さらに人間として女性としてall-roundでなければならないこと。 きっと当時はものすごく変わり者だと思われていたのでしょうね。
61882年帰国,のち教授となったが,1889年再度渡米し,生物学,教育学などを学び,1892年帰国。 きょうのまとめ 今回は、津田梅子の生涯と人物についてご紹介いたしました。
10偉人のような書き方も出来たでしょうが、作者は津田梅子をバイタリティ溢れる女性とい視点で執筆をしました。 朝鮮についてとても興味深くおもしろい話をしてくれました。