1909年(明治42年)東京・上野にイギリス人陶芸家バーナード・リーチが正座が苦手なために自宅に作った掘炬燵が、住宅向け腰掛炬燵の最初といわれています。 どうしても午後に下ろさなくてはならないときは,「ええこときかしょ,ええこときかしょ」ととなえたそうです。
14はなすと元に戻る。 昭和になると洋服(ようふく)を着る人がふえ,仕事をするときに着るための洋服も,作られるようになりました。
それまでは,なたね油を使ったカンテラ,天じょうから下げるようにしたランプが使われました。 大正時代になると,かわらぶきのやねにしたり,かわらのひさしをつける家が出てきました。 最初の頃は外側が木でできていますが、次第にプラスチックを使うようになり、大きさも小さくなります。
17では、江戸時代には日本人の身長はいったいどれほどだったのでしょうか? 火消しの仕事は火事を消すことではく破壊活動だった? 江戸時代の家屋はほとんど木造です。 さすがにそれでは厳しいだろうから、30年と大阪万博の間、今の3分の1ぐらいのエネルギーならなんとかやっていけるだろうし、地球環境の面ではそれぐらいが限界ではないだろうか。 かつての理にかなった生活様式を、「いい生活」のために一生懸命つぶしてきたのが私たちの「経済発展」の姿である。
どうにも避けられないことだ。 30年ほど前か、百貨店で「越前漆器半額セール」というのがあって、この機会に重箱を買おうと出かけたところ一番安いのが7万円だった。 昔 ガスはなかった。
2また、農民を卑屈にさせないために、「士」の次に「農」を置いたと教えられた人も多いことでしょう。 各地の博物館や郷土資料館には江戸時代の衣装が展示されていますし、錦絵や浮世絵などにも当時のあでやかな生活ぶりが描かれていますので、そうしたものからある程度知ることができます。 人に話を聞きに行くときは、行く前に都合のよい日時を聞き、時間におくれないようにしよう。
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